盲信するな。自分で考えろ。『桜沢 如一』ウソかホントか情報社会
盲信するな。自分で考えろ。
この「盲信するな。自分で考えろ。」は、桜沢の残した言葉です。
桜沢は、自らで考える能力を奪っているドレイ根性を防ぐための言論の自由の確保や、判断力や創造力や能率を向上させるための政策への提言をしています。
また、日本人の盲信を「食」に例え、このように言っています。
戦後の日本人は西洋文明を「盲信」することで、西洋の食文化を取り入れ、食が乱れてしまいました。
桜沢は、西洋文化自体を否定するのではなく、日本人の浮薄な盲信こそが日本食の乱れの根源であり、日本人の食の間違いを正すことが、ひいては東洋文化と西洋文化の相互理解につながると考えました。
近年、インターネットの登場により、誰でも簡単に様々な情報に触れることができるようになりました。しかし、あまりにも膨大となりすぎた情報の中には、信憑性の低いものも多く、場合によっては人々をミスリードさせるものさえ散見されます。
もちろん私の記事にも言えることです。
ですので、情報を見るときには正面だけ見るのではなく、斜めからとか、ときには後ろから見るとか注意深く観察すると、全く違った見え方をすることがあります。そうすることによって、マジックのタネというか、ワナを見破ることができる可能性が高まります。また、その情報発信によって誰が得をするのかを考えてみると、更に見破れる可能性が高まります。そこには、お金や利権、目的が絡んでいる場合が多いからです。
つまり、何も考えずに人の言ったことを鵜呑みにするのではなく、行動を起こす前に、ちゃんと自分で考えることが必要になってきているということです。
例えば、私の過去記事にグラフが出てくるのですが、何か違和感はなかったですか?
あまり詳しくは書けませんが、ヒントは矢印の中心と1961年7月です。
このような記事を書くと、今まで左に振り切っていた針をいきなり右に振り切らせる方がいらっしゃいますが、そうではありません。(それが盲信です。)
それは、判断材料のひとつに過ぎないからです。
そういう判断材料をたくさん集めて、その結果をもって自分で最終判断をくださなければならないのです。
ここで、問題となるのが「固定観念・先入観・常識」です。
みんなが言っているからとかTVや偉い人が言っているからというのは、判断材料になりません。
また、信憑性のないデータなども同じです。
もしかしたら、みなさんにも「盲信せずに自分で考えた結果」で選択を迫られるときが来るのかもしれません。
例えば、コロナウイルスに対するワ〇〇ンが完成した時です。
そのときは、場合によっては心身ともに疲弊しているかもしれません。
TVには、次のようなフレーズが出てくるのでしょう。
「みんなにうつさないために、みんなのためにワ〇〇ンを打ちましょう。」
「もちろん無料(税金)です。打たない奴は非国民だ。」
それまでには、まだ時間があります。
信憑性があり、根拠のある判断材料探しを始めてみてはいかがでしょうか。
私の過去記事でも少しウイルスについて記載していますので、興味がある方は探して勉強してみてください。
まあ、私のスタンスは、一二三(ひふみ)「右行く人、左行く人とがむるでないぞ」ですので委ねます。
それでは、この曲を聴いて、情報社会にキリッ!と挑みましょう。
■ミニ講座(私の提案する「自分の力で考える」までのプロセス)
素直なことは非常に重要なのですが、全て人の言ったとおりに行動していると、そのうち全てを人のせいにしてしまうクセが付いてしまいます。それは次第に自分の自信を奪い、自分で自分が信じられなくなってしまうのです。
それは、とても悲しいことです。
たとえ世の中全てを敵に回したとしても、絶対に自分だけは自分の味方でいてあげてください。
そのためには「正々堂々と生きる」ことが重要になります。
「タマゴボーロ」で有名な竹田製菓(現・竹田本社)の創業者である竹田和平さんは「天から見て美しいか?、それとも美しくないか?で考えてみるといいよ。」とおっしゃられています。
損得ではないのです。
正々堂々と生きているうちに、自分で自分のことが好きになってきます。
少なくとも自分で自分のことが、嫌いではなくなります。
そのうち自分を信じられるようにもなるでしょう。
自分を信じられるようになれば、きっと自分の力で考えることができるようになると私は思うのです。
あなたにもそう思える日が、きっと来るはずです。
今まで全てを誰かのせいにして、自分を守ってきた人にとっては、過酷な出来事もあるかもしれません。
でも、それでいいんです。
自分の考えが間違っていたと気づいた時には、修正していけば良いだけです。
そうやって人は成長していくのだと思います。