『花は桜木、人は武士』まさか瀬織津姫とは・・・
「花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖 はもみじ、花はみよしの」
これは、一休宗純が遺した言葉といわれています。
広辞苑には
「花の中で桜が最もすぐれているように、人の中では武士がすぐれている意。」
とあります。
桜や武士は散り際が潔く美しいことから、花や人の中で最も優れてるということを表しており、この最も優れたものを書き連ねたのが、この言葉です。
しかし、最初と最後に「花」が出てくるのに違和感があり、なんともスッキリしない印象を受けます。
そこで、この謎と自分の納得できる理由を探し求めました。
かなり斬新な分析をされている方がいらっしゃいましたので、ご紹介させていただきます。
転載は前半部分を省略していますので、オリジナルを見られた方がより理解が深まると思います。
●<花は桜木>------------------------
―「桜」ではなく「桜木」と、“花”ではなく“木全体”を言っています。
一休は、桜の花ではなく、「佐座木」(さくらぎ)=「佐の神の坐す木」
=瀬織津姫の化身としての「木」そのものを言っているわけです。
ここで言う「花」とは植物の花ではなく、松本いはほが「葛の花」(国栖人の女神)と詠んだように、「女神」のことを言っているのでしょう。
つまり、
「花は桜木」とは、「女神は佐の神」=「女神は瀬織津姫」
と瀬織津姫そのものを讃えているのでしょう。
●<人は武士>------------------------
―「平家にあらずんば人にあらず」という言葉を下敷きにしているでしょう。
一休が思ったのは、「藤原にあらずんば人にあらず」とでも言うかのように全盛を謳歌し、いにしえの神まで封印するという権力を振るった藤原(貴族)へのアンチテーゼ。そして、その消された縄文の神を形を変えて旗印に掲げた武士への全面肯定でしょう。
●<柱は檜>------------------------
桧(ヒノキ)は古くは真木(まき)の一つ。
「真木立つ山」は、杉や檜などの真木が茂っている山。
典型的な陰樹の特性を持ち、幼樹は日当たりを嫌う一方、乾燥を好むので、スギを谷側にヒノキを尾根側に植えるそうです。
ヒノキ科ヒノキ属のヒノキは日本と台湾のみですので、中国で「桧」はビャクシン属を言い、たとえばイブキという木は炎のような枝振りになり、海沿いの神社や寺にも古来より植えられていて天然記念物になっているものもあるそう。
桧は、日本では最高品質の建材とされ、寺院・神社の建築には必須で、法隆寺は世界最古の木造建築物として今日までその姿を保っているほか、奈良県内に存在する歴史的建築物はいずれもヒノキを建材としたことによって現存するといって過言ではないとのこと。
桧の皮を使った檜皮葺(ひわだぶき)は世界に類を見ない日本独自の屋根工法で、軒先を厚く見せて重厚感をかもし出し、軽快で優美な屋根の曲線を作ることができるので、天皇の私邸である紫宸殿や清涼殿が檜皮葺で作られているそうです。
語源は、陰樹の特性を持つところから、「日の木」よりも「霊の木」の方がありそうな気がします。また、漢字の「會」には「夫婦になる」という意味があるようです。
こう見てきますと、真木と呼ばれる椙(杉)・檜(桧)は、杉が国常立神で桧が瀬織津姫ですね~。天皇の私邸も瀬織津姫に守られ、女性を包む十二単も、家を守る檜皮葺の模倣から来ているのかもしれませんね。
さらに、ここで一休さんが「柱」と言っているのは、建物の柱のことだけではなく、「神」のことも懸けているのでしょう。つまり、冒頭で述べた「女神」という限定を除いて、「神は瀬織津姫」=全ての神の中で瀬織津姫が一番、と言っているわけです。
●<魚は鯛>------------------------
「周」は、古代の中国では扁平(ひらたいこと)を意味する語。それをタ(平たい)イ(魚:イオ)、あるいは平魚(タイラヲ)に当てたという説があります。
また、「周」は(田の中に米がいっぱい行き渡る。行き届く。あまねし。まわり)で、「周」の中に「田」=雷神が隠れているわけですね。これに魚偏を加えることで、鯛(すみずみまで調和がとれている魚)となります。
「タイラギ」(平貝)という平たい貝があります。
いずれ書きますが、タイラギは龍の爪もしくは鱗の一片とも言えそうな平ぺったい三角錐型をしています。焦げ茶っぽい貝なのですが、金赤青白(白はフジツボ)などが混じり(つまり、瀬織津姫カラー満載)、その上有鱗型と無鱗型の2種ありますから、二柱を表す貝なのです。
垂直(国常立神)に対して水平が瀬織津姫ですから、「タイラギ」同様「タイラヲ」も瀬織津姫を表してると思われます。
●<小袖はもみじ>------------------------
上記時代背景の中で、貴族を象徴する袿(うちぎ)はすでに眼中にないことを、「小袖は」と書き出すことで暗に示しているようです。さらに、その小袖の柄の中でも、「もみじ」が最高と言っているわけですね。モミジと言えば瀬織津姫でしたね。
●<花はみよしの>------------------------
さて、上記を見ますと、一休さんはそうとはわからないように、でも全力で瀬織津押しですね。
けれど、花の名を挙げていません。冒頭に挙げた「花」は女神のことであって、植物の「花」のことはまだ書いていませんが、どうしても書きたい。ならば隠そう―「秘すれば花」です。
この花の名を挙げてしまえば、もはや大ヒントになってわかってしまうかもしれない。なので書けなかった花。その花とは?
そう、「佐の方の花」と言えば「藤」しかありません。
古語で書けば「藟」もしくは「葛」です。
つまり、「吉野葛」―まさに、ここ貴船・中宮の松本いはほの句碑に出てきた花―「葛の花」(ふじのはな)だったのではないでしょうか。
さて、完成形を書いてみましょう。
花は桜木 人は武士
柱は檜 魚は鯛
小袖はもみじ
花はみよしの藟の花
藤は藟、葛で、藤も桜も瀬織津姫とわかったときに、一休さんの句の内容がわかりました。
それにしても、二神教の大切さを織り込みつつ(會→夫婦になる)、そのすべてにおいて瀬織津姫賛歌をしており、しかも「佐の方の座(くら)」で始まり、「佐の方の花」で締めくくるわけですから、どっぷり瀬織津姫でしょう。日本人が女神アマテラスを受け入れたのも、既に女神瀬織津姫を讃える土壌があったからですね。
スッキリ!
惚れ惚れするほど素晴らしい分析で、結論も実に清々しいですね。
あなたにとって、最も優れているものは、何と何ですか?
あっ!一休さーーーん。『音楽はカノン』も追加しておいてください。
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