和魂(にきみたま)

和魂(にきみたま)

エネルギー充填120%!全速前進!ヤマト発信します!

『米百俵』人材育成の神髄は『道』であり『芸』である

 

まえがき

 

最近、新入社員の教育係を依頼され、快く承諾したものの初めての経験でさっぱり分からないため、いろいろ調べてみたところ次のキーワードにたどり着きました。

それが「米百俵(こめひゃっぴょう)」です。

米百俵とは、長岡藩の藩士小林虎三郎」による教育にまつわる故事で、作家の山本有三による戯曲「米百俵」によって広く知られるようになりました。

 

 

山本有三の戯曲「米百俵

 

戊辰戦争に敗れ焼け野原となった長岡藩は、困窮していました。

そこへ支藩三根山藩から救援として米百俵が届きました。

食べるものにも事欠く藩士たちにとっては、のどから手が出るような米でしたが、これを小林虎三郎は、「食えないからこそ、学校を建てて人材を育てるのだ」という信念を貫き、皆の反対を押し切って米百俵を売却し、その代金で国漢学校を設立しました。

 

それまでの藩校は漢学を主に教えていましたが、国漢学校ではそれだけでなく、日本の歴史や国学、さらに洋学、地理や物理、医学までも質問形式の授業で学ぶことができました。また、身分にとらわれず誰でもが入学できました。

 

そこで多くの人材を育て上げ、連合艦隊司令長官の「山本五十六」をはじめ多くの有為な人物を輩出し、長岡の復興に繋がっていきました。

 

山本有三の戯曲<米百俵>の中で、虎三郎は「早く、米を分けろ」といきり立つ藩士たちに向かってこう語りかける。

 

「この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。国がおこるのも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。……この百俵の米をもとにして、学校をたてたいのだ。この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがある。いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ。その日ぐらしでは、長岡は立ちあがれないぞ。あたらしい日本はうまれないぞ。……」

 

 

 

米百俵の精神の原点とも言える興学私議

 

師の佐久間象山にあてた興学私議(学問を興すことについての個人的見解)は、虎三郎が幽閉中に培った思想の結晶でした。

 

その中で虎三郎は

「外敵はますます大胆になるが、こちらは戦々恐々として、彼らの機嫌をうかがう状態である。この災いの根源は、真の学問が不在であるからだ。文武百官は皆、職名をつけているが実は虚名であって何も学んでいない。また学者は私見を述べるだけで、意見を交換したり、互いに学び合うことをしない。兵を知らないものが軍を率い、学ばざるものが執政の職にあるという風である。ところが西洋の様子をみると、その学問の精密なことに驚く。」

というように日本の教育の遅れを分析しています。

 

さらに、

「では、教養を広め、人材を育成するとはどういうことか。それは道と芸である。道は人の生きるべき体(道)を明らかにする。芸は用を達す、つまり実際に事を処理する術をいう。この二つは離れてはならないものである。」

と説いています。

 

 

まとめ

 

米百俵」の逸話は、現在の辛抱が将来利益となることを象徴する物語です。

小林虎三郎が世に問うた「興学私議」は、「米百俵」の精神の原点であるともいえ、現在でも通用する普遍性を秘めています。

 

人材を育成するとは「道」であり「芸」であり、この二つは離れてはならないものであると虎三郎は述べています。

 

「道」とは、人の生きるべき体を明らかにし、学ぶ主体がまず自らを知り、その道に向かって自ら作り上げることだと言います。

「学」ではなく「道」とすることによって、何をすべきか明確になるのかもしれません。

 

「芸」は用を達すこと、実際に事を処理する術です。

武道神道が基軸となり、それに儒教道教禅宗などが加わって修練による開眼精神と哲学を持った「芸」になったといわれます。

 

つまり、小手先の技術やテクニックを身につけるのではなく、理念を持って技術を極めることが重要であると述べているのではないでしょうか。

 

 

豆知識①

山本有三は、代表的な小説「路傍の石」の中で、次のように述べています。

「たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきたかいがないじゃないか」

 

教育と反戦の思想で裏打ちされた戯曲「米百俵」は大ベストセラーとなりましたが、時代は軍部の支配下にあり、反戦戯曲だと強い弾圧を受けて絶版となり、自主回収の憂き目を見ました。

 

 

豆知識②

 

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」という言葉は、山本 五十六が生前述べた名言の一つです。

実は、この名言には続きがあります。

 

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

 


このことから「相手に敬意を払わないと人は動いてくれない」ということが分かります。つまり、相手を軽んじて言うことをきかせようとすれば、反発されたり、良い関係が構築できないということですね。

 

 

 参考資料

米百俵 - Wikipedia

米百俵の精神

長岡ミニ歴史館 - 米百俵の精神はこうして生まれた

興学私議について